Saturday, August 17, 2013

雲の向こう

焼けた地は沢となり、
潤いのない地は水のわく所となり、
ジャッカルの伏したねぐらは、
葦やハスピスの茂みとなる。
そこに大路があり、
その道は聖なる道と呼ばれる。
イザヤ35:7,8
今朝はその主の大路を、愛する家族のみんなで安心して歩めるようにと、祈りました。
祈りながら、あるひとつの思いを与えられました。
身を避けるべきことから離れることと、愛することは矛盾しないかもと思い至ったのです。
過去の出来事にこだわりをもたないという、ただそれだけでも、いいんじゃないかなって。
自分を与えようとして上手にできず、傷つくことをくり返したら、もう、それはあきらめてもいいのかもしれないなって。
イザヤの35章の最後はこう結ばれています。
「主に贖われた者たちは帰ってくる。
彼らは喜び歌いながらシオンに入り、その頭にはとこしえの喜びをいただく。
楽しみと喜びがついて来、悲しみと嘆きは逃げ去る。」
私たちの道は必ずその大路につながっているから。
きっとまた逢えるから。