スー・オーガスティンの本をくり返しめくりながら、たしか、どこかで誰かが、でも、全然違うテーマとして書いていたことに、とてもよく似ているの気がするのだけど、それは誰だったろう、何だったろうってずっと考えていて、今朝起きたその時、「!」と思い出しました。
残念ながら、その本は手元にありません。
ぼろぼろになるまで読み尽くし、そして日本にまで持って行き、その痛んだ本をお兄ちゃんにあげて帰ってきたのです。
その後、日本語本屋さんにオーダーしたら、絶版になっていると言われて、がっかりしていました。
その本がテーマを変えて、こんな形で私の手元に帰ってくるなんて・・・。
神さまは、私のこんな願いにまで、気をかけて、忘れずにいてくださっていたのです。
それは、ジョエル・オスティーンの本でした。
彼の本は世界中で売れています。
町の普通の本屋さんに行くと彼の同じ本が、いろんなバージョンで売られているほどです。
なぜ、日本語版は、売れなかったのだろう。
日本語で語られる聖書のメッセージでも、彼ら(スー・オーガスティンも含めて)の考えと同じことを言う人はいないと思う。
それどころか、「そんなことは本当の幸せを知らない、この世の自己啓発的ビジネス本の著者や経営コンサルタントの講演に任せましょう。」的な風潮さえあるかもしれない。
彼の文章はすっかり忘れてしまったけど、忘れられないのは、それが申命記の30章を解説しているような本だったといいうこと。
そして、スー・オーガスティンのこの本も、結局そうなのだ。
私にとって、いのちを選ぶって、楽観的になることと同義語。
でも、それこそが日本のクリスチャンには受け入れられにくく、嫌われやすい点なのだ。きっと。