若者をその行く道にふわさしく教育せよ。
そうすれば、年老いても、それから離れない。
箴言22:6
結局のところ、両親は、自分たちの生活をもって教えるのであって、ことばをもって教えるのではない。
自分たちが、どのようにあるか、ということをもって教えるのであって、手続きや方法をもって教えるのではないのである。
ふたりの成年者が、愛し合い、誠実を尽くし合い、責任を負い合って暮らしている家庭に成長することは、他のどのような経験、どのような特別な方法をもってしても教えないことを教える。
子どもを「訓練する」とは、独立行動をとってゆえに子どもを罰することではなく、行くべき道を教え続けることであるのです。
親である者は、学校、教会、他の機関、および一般社会と平行して、自分のなすべき分をはたすのです。
訓練は、20年間にわたるプロセスを含んでいます。
この期間中、あなたは、子どものうちに次第に発達してくる内的な力―それは彼自身の行為とその結果に対し、責任をとらせるものです―のゆえに、だんだん完全な支配を放棄して行くのです。
ブラント&ダウディ
どうですか?
なかなか痛いところを真正面に教えてくれているとは思いませんか?
だとしたら、いやまったく、その通りなのだけど、私たち夫婦の間で育っている、賢人とはなはろくなもんではないことになってしまいます。
でも、そんなことはないのです。
私たち夫婦がよくいう言葉に「できすぎだ」というのがあります。
ただ、超ボトムな私がここに言い添えたいことは、それであったとしても、無力な親の、子のための祈りは届いているという確信です。