ただいま。
今日は大切な用があって、仕事が終わったその足でLAダウンタンまで行き、散々迷子になって、ようやくたどり着き、無事に用件は終わり、たった今帰ってきました。
金魚と亀以外みんな眠っています。
夫は私が帰ると一瞬目を覚まし、臨終の人の遺言のように「ああよかった。お帰り。」とつぶやき、再び死体のように静かに眠りはじめました。
ホームレスがあっちこっちに座りこむ倉庫みたいなところで、放し飼いの大きな犬に見つめられたりして、なかなかスリリングな冒険でした。
GPSに入れた住所のEとWの違いでとんでもないことになったけど、でも結果おーらい。
日本語を話す韓国のおじさんに会ってきました。
たどたどしいのに、気持ちの伝わる上手な日本語に、すっかり昨日の傷も癒されちゃった。
そう、言葉とは、言語とは、母語とは、外国語とはきっとそういうものなのだ。
気持ちが声を通して言葉に変身し、相手に届いてしまう。
話す人の人柄が純粋であればあるほど、良い思いも悪い思いも相手に伝わってしまうものなのかもね。
そう思えばとってもなぐさめられる。
だから私も、気持ちに自信がないときには、話すのも、書くのも待つことにしよう。
韓国のおじさんの話を聞きながら、そう思いました。
今日はとっても長い1日でした。
おやすみなさい。
明日も良い日でありますように。