Sunday, July 7, 2013

不幸せ→ヨハネ9章→嫉み

そこで、イエスは言われた。
「わたしはさばきのためにこの世に来ました。
それは目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです。」
ヨハネ9:39
 礼拝後にガーガー公園でのミニミニスモールグループ
ごく最近発見した、ごく個人的な幸せの法則があります。
私が一番幸せな時は、心で感じていることと、頭で考えていることと、体でやっていることがひとつの時。
それで、今日のヨハネの9章のメッセージを聞きながら思いました。
盲人の目を開かれたイエスの癒しの奇跡を、心のどこかで信じているのに、頭ではこのヒトこそメシアって考えたのに、嫉みに駆られて、癒された盲人を嘘つきということにして追い出したこのパリサイ人たちの悲しみは大きかったに違いない。
それはそれは悲しい不幸な話と思う。
でも、・・・そう、でも。
人の嫉みとは、そんな悲しみをも乗り越えさせる大きな力があることも、これまた事実。
大きな大きな悲しみの波にのまれそうなときには、いつも思い出そう。
この日のパリサイ人と同じ嫉みの中に私はいなかなって。
『悲しみ→ヨハネ9章→嫉み』と心にばっちり刻みました。