Thursday, July 11, 2013

『クリスチャンホームの建設』~役割を理解する①

ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。
また、愛のうちに歩みなさい。
キリストもあなたがたを愛して、
私たちのために、ご自分を神へのささげ物、また供え物とし、
香ばしいかおりをおささげになりました。
エペソ5:1、2
人間は、何世紀にもわたって、自分の生活を健全なバランスのとれたものにするという重荷を負わされているように思われます。
たいていの人は、重要なものと重要でないものの間の選択をしなければならないのではなく、善であり、しかもこのうえなく重要な多くの責任と機会の間の選択をしなければなりません。
幸福な人とは、彼の幾つかの役割の、どれが優先するかという観点から考えない人であるということ、一つの役割が他の役割と、より高い位置を競い合うとは考えない人であるということです。
少年少女は、権威に対する彼らの態度の幾分かを、自分の父親から学びます。
また、男性がその家族の中において占めるべき地位についての態度、また、男性がその妻や他の女性をどのように取り扱い、またそれらの人々からどのように取り扱われるべきかについての態度の一部を、同じように父親から学びます。
父親がけっして忘れてならないことは、次のことです。
すなわち、彼がその役割をどのように果たすかといことが、その家族だけでなく、将来形づくられる子どもたちの家族をも、ほんとうの意味で建設し、あるいは破滅させる、ということです。
ブラント&ダウディ
男性が担うたくさんの役割のに対する、ひとつひとつの考え方が、とても細かく教えられていましたが、それは、(父親の部分以外)すっぽり割愛しました。
立場的に、そこにあてはまらない私がそれを書いちゃうと、なんだか「教えている」っぽくなりそうでいやだったから。
オトコは大変だな~と思う。
私は、本当に心から無責任にそう思う。
いつかはながお風呂で私に言ったどっきりするひとこと。
「はなはオンナでよかったよ。好きなことだけして暮らしていられるから。」
私は、無言ではなにそう教えていたのかもしれない、そう考えてみている。