Sunday, July 21, 2013

『クリスチャンホームの建設』~避けられない変化②

心を尽くして主に拠り頼め。
自分の悟りにたよるな。
あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる
箴言3:5,6
ある家族は、変化を予期し、変化とともに生きることを学んでいます。
他の家族は、あす何が起こるだろうかと恐れ、不安が彼らをこの上なく無気力にしているので、実際に変化がやって来るとまいってしまうのです。
さらに他の家族は、変化の必然性を認めることを拒否し、不自然な努力によって変化を無視し、あたかも何ごとも起こらなかったかのように生活しようとしています。
変化は、家族の内的な力にとってきびしいテストをもたらすかもしれません。
そのようなとき、家族がその価値観と信仰を、日々の生活の中にどのように含めて行くかが、変化に対応する能力となって示されるのです。
クリスチャンは、変転きわまりない環境を、変ることのない神を見る目をもってながめることができるのです。
クリスチャンは、その生活を、変ることのない神のことばによって規制することができます。
そして、その未来が安全であることを知ることができます。
なぜなら、その神に対する関係は、けっして、変転する力によって乱されることはないからです。
ブラント&ダウディ
子どもの成長も、自分の体の変化も、これはもうどうしようもなく、受け入れざるえない事実、エントロピーの法則(だっけ?)です。
小さく、穏やかな風によって、岩の形が変っていくのと同じで、体を折り曲げて痛みに耐えなければならないほどのことはないと思う。
問題は、突然やってくる大きな変化です。
私は、自分の育った家族の中でも、自分が作った家族の中でも、その大きな変化を一度も経験したことのない者だから、全く、自信がありません。
私が今までに経験した大きな試練のほとんどは自ら選んだ新しいことへのチャレンジ、残りのいくつかは、失敗の後始末、罪の刈り取りでした。
だから、病気や災害や事故や失業や、あるいは死に対する危機対策が、体にも心にも備わっていないかもしれないと、時々思うのです。
私は、それだけがこわくて、いつもいつも、祈ります。
私と私の大切な人を試みにあわせないでください。
私たちが決して苦しむことがないようにしてください。
私たちの周り中に何が起こったとしても、決してそれが私たちにふりかかることがないようにしてくださいとさえ祈るのです。
それでも変化はある日突然やってくるかもしれません。
それでも私は、今日もそう祈るのです。