Thursday, April 7, 2016

愛しのピアノ

★2時間かけて、ようやく帰路に着きました。
事故の渋滞に閉じ込められ、イライラが始まりそうになったので頭と心を何かに集中させようと、You Tube でピアノ伴奏法について聴きました。
日曜日から抱えているもやもやした気もちが、この世界の反面教師によって少し晴れてきた気がします。
渋滞に感謝しなければね。
そんなことでもなければ、神の意見はともかく人の意見など聴きたい心境ではなかった私です。
★私の伴奏者としての最低限で、究極の願いは歌う人の声を聴くことです。
でも、この教会でその願いを聞かれたことはほとんどありません。
歌声が聴こえてくるとしたら、それは皮肉にも、会衆がそれほど熱心に歌ってくれるわけではない、献金の時ぐらいです。
そして、いつしか、そんなことは、あまり願わなくなり、ただ、キンキンと電子的に引き上げられた自分の音を、それは、私の音楽とは関係ないと思うことにしていました。
でも、今朝のデボーションの中で、それはみこころでないことをびしっと示され、そして、今日、帰りのクルマの中で考えました。
★それは、私の音楽と関係なくはない。
うるさかったって、言われれば、それは私がうるさかった。
耳が痛かったたって、言われれば、それは私の音楽が、誰かの耳を痛めた。
そこの責任を果たすとなく、神の守りや平安は得られない。
今日、帰りのクルマの中で、聴いた伴奏方のクラスは、私の耳には、完全なこの世の反面教師だった。
責任を転嫁していては、いつまでたっても、地上の神の御国的音楽は実現しないと思う。

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