Saturday, April 23, 2016

こどもがこどもじゃなくなる日

さっきの記事の続編です。
去年の今、賢人がどうして、自分の成績の不足を理由に、大学をあきらめ、近所のコミュ二ティ・カレッジで浪人生活をすることを選んだのか、今の私にには痛いほどわかります。
理由はたぶん、何でもよかったのだと思う。
アメリカで生まれ育った子はみな、このように、親の知らない間に、急に大人の思考回路になるのでしょうか。
それとも、それが彼への神さまのチャレンジなのでしょか。
ただ、どにかく、あの子は自分で生きようとしています。
だから、一般教科を最も安い地元のジュニア・カレッジで、できるだけ、たくさん取り、そして、良い成績をもらって、ありとあらゆるファイナンシャル・エイドの可能性にトライしているのだと思う。
あの子が高校を卒業して以来、私たちは彼に1ドルたりとも使っていません。
授業料も、教科書代も、全ての自分の貯金でまかなっています。
そして、神さまはこの学校で学ぶことのできる全てを、あの子の銀行口座に備えてくだっています。
私は、バイトで使ってほしい長靴を買ったり手袋を買う他、もう何もあの子にできることはなくなってしまいました。
不思議です。
そんなプレッシャーをかけたつもりは毛頭ないのに。
賢人は、はなも、小さな頃から、ずっと良い学校を与えられ続けてきました。
だから、今は、ただ静かに祈るだけです。
じゃまにならないように。

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