Friday, April 8, 2016

愛しのピアノ・その2

わざわいだ。
偽善の律法学者、パリサイ人。
おまえたちは白く塗った墓のようなものです。
墓はその外側は人に正しく見えても、
内側は偽善と不法でいっぱいです。
マタイ:23:27
日曜礼拝のパン種のメッセージの中でふれたみことばです。
今朝は、Love Dare のテーマ聖句はなく、自分でマタイを開き、23章をじっくりと読みました。
5章で、「幸いです」「幸いです」と7度も私に言ってくれるイエスさまが、この23章では、「わざわいだ」と私の胸に指指して言います。
そのとおり。
わざわいは、私の心の中にありました。
私の心の中にあるパン種がわざいだと、イエスさまが私に直接教えてくれました。
どれほど、自分で上手に隠しているつもりでも、時がくればふくらみはじめる私の本当の姿です。
それは、「おおいかぶされているもので、現されないものはなく、知られずに済むものはありません。」のルカ書の12章のことばのとおりです。
まずは、心の中からこのパン種をとりのぞくこと。
どうやって。
祈って。
そして、心をからっぽにして、口を閉じて指を動かしてみよう。
神さまは私に10本の指をくださった。
音を感じる心をくださった。
耳もくださった。
そして、何よりも素晴らしい仲間たちをくださった。
そのことに感謝しながら。
そして、閉じたこの口が、この次に開く時は、それは、神を賛美する言葉がこぼれる時。
主がこの口に、「いやだ」ではなく「ありがとう」を、災いではなく祝福を授けてくださることを信じつつ。

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