Wednesday, April 6, 2016

ひくひくする足をお尻にしいて考えたこと

足のひくひくはまだ続いているけど、座って、くつろぎたいから、正座してお尻の下に押さえ込みました。
気持ちいい・・・。
日曜日に私が弾くピアノが、とても痛々しくアグリーだったことにすっかり傷ついてしまっていました。
蓋は一番短い棒で、15センチほど開かれ、そこに2本のマイクが差し込まれていました。
こんな痛々しいピアノの姿を、今だかつて見たことのなかった私はすっかり打ちひしがれ、がっくりとしてしまったけど、でも、なんとか弾き終え、そして、心の中で、こんなピアノは2度と弾きたくないて思いました。
それはまるで、ピアノの機能を全面的に否定された姿、様子、仕打ち、そして音。
それはまるで、健康な人の口を糸で縫いつけ、鼻に管つっこんだ、ナチスのユダヤ人への人体実験の白黒写真のように悲しいほかは何もない。
音が、足元の私のモニターと、小さく開かれたピアノの蓋の中と、そして会衆側のスピカーのみっつから、まるで違うメッセージみたいに、ぼとぼと、がくがく、じりじり、聴こえ、うるさく、汚ならしかったことは、もっともっと、悲しかった。
モニターから聴こえる音は、不本意にもその激しい爆音で他の楽器を鳴らしてしまい情けなくて、悪夢のようだった。
そのことにすっかりと疲れたままはじまった今週、このあたりで、自分の気もちをなんとか整理し、納めたいところだけど、思い浮かぶのは、アグリーで痛々しい蓋が15センチほど開いていて、そこにマイクが刺さった、困った様子のピアノ。
なぜ、全開ではなかったのだろう。
なぜ、マイクが必要なのだろう。
それらは、全く相反する、ピアノのしくみを無視しバカにした仕打ちだったと、あれから3日たった今でも、そう思います。

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