Tuesday, November 5, 2013

埋もれている夢を掘り出す21日間 Day15 Tomorrow

何も思い煩わないで、あらゆる場合に、
感謝をもってささげる祈りと願いによって、
あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、
あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
ピリピ4:6~7
友よ、あなたの明日が地平線からのぞいています。
あなたはまっさらな門口に、未来に目を向けて立っているのです。
心配しようとしまいと、未来はやってきます。
違いは一つだけです。
心配していると、明日に対する楽しみと喜びを逃していまうということです。
私たちの心は緑豊かで肥沃な土地、心配は植物の種にようなものです。
どんな種でも、蒔けば、その刈り取りもすることになる、というのが神様の普遍的な原則の一つです。
そうなると、心配が日常的な思考の一部と化し、当たり前になってしまいます。
不安や焦りに生きることと、優しさと思いやりを人に示すことは違います。
神様は、「互いに悩み、苦しみを共に負い、キリストの命令に従いなさい」とは言われましたが、心配するように、とは決して命じられませんでした。
心配することは、ロッキングチェアに座ったままどこかに行こうするようなもので、ものすごいエネルギーを消費しますが、どこにも到達できません。
心配と信頼は両立できません。
どちらか一つが優勢になるのが常です。
あなたの思いと想像力を何で満たすのか、注意してください。
墓の入り口に置かれた大きな石をだれが動かしてくれるだろう、と心配していた女性たちは、朝日の美しさや道端の花の素晴らしい輝きをおそらく見落としたことでしょう。
けれども墓に着いてみると、石はすでに転がしてあったのです。
あなたにも思い当たる節はありますか?
もう心配はしないと、ただ心に決めてください。
スー・オーガスティン
毎朝、クルマの中で必ずお祈りすることの一つに賢人の身体について、彼の身長のことがあります。
私は、これをいつしか、「賢人が自信を持って大人になってゆけるよう、あなたがくださった賢人の身体を賢人の望む形に整えてやってください。そして、それがどんな形であれ、感謝できる心を彼に与えてください。」と祈るようになりました。
伸び悩む身長を心配しながら祈ることは、彼の身体を呪うことになりかねない危ない祈りとなる可能性があるなって、気づいたのでした・・・。