大きな力と、差し伸べた腕をもって、
あなたがたをエジプトの地から連れ上った主だけを恐れ、
主を礼拝し、
主にいけにえをささげなけれなならない。
2列王記 17:36
たくさんの人が入れ代わり立ち代わり、王として立てられてるけど、正しい人もそうでない人も、みんな、『高きところ』を取り壊せずにいた中、ヒゼキヤという人がやっとのことでこれをやってくれます。
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18章に進み、7節には、「主は彼とともにおられた。彼はどこへ出陣しても勝利を収めた。彼はアッシリアの王に反逆し、彼に仕えなかった。」
ダビデみたい。
ここまで読んで思うこと。
サムエルやエリヤやエリシャみたいな神の人と呼ばれた偉大な預言者と、ダビデやソロモンやエフーなどの王さまを同じ線に並べて読むべきではないなっ思う。
王への誘惑や苦労はきっと預言者たちにはわからない。
そして王には、神さまのことが、預言者のようにはわからない。
みんな自分が生まれたところで、召された場所で一生懸命に生きている。