Friday, October 25, 2019

イザヤ書 1章

洗え。身をきよめよ。
わたしの前で、
あなたの悪を取り除け。
悪事を働くのをやめよ。
善をなすことを習い、公正を求め、
しいたげる者を正し、
みなしごのために正しいさばきをなし、
やもめのために弁護せよ。
イザヤ 1:16
そして、大すきな18節。
「さあ、来たれ。論じ合おう」と主は仰せられる。
「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くでも、雪のように白くなる。
たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。」
毎日、いろんなことがあるけれど、行きたい場所がはっきりとわかっていれば、その時、その時、対処の方法が示されます。
大抵の場合、主の対処法は、「気もちを受けとめ、祈りながら、見守りなさい」であって、事情を究明したり、解明したり、ミーティングを開いたり、などということではないのです。
そして、共感するとかしないとか同調するとかしないとかは別にしても、「気もちを受けとめる」という大仕事で、ほとんどの問題がおさまることが多いと、この頃、気づきました。
ポイントは、それを、私自身が自分の心に納める、というところにあると思うのです。
「さあ、来れ。論じ合おう」と言ってくださる神さまが見ておられるから、今日も頑張ります。