Tuesday, December 23, 2014

まわった心とまったき平安

おはよう。
冬休み1日目の朝です。
寒いお部屋の温かいベッドの中で、昨日のめぐちゃんとお友だちで同居人のえりささんの言葉を思い出していました。
私には、できないことや、知らないこと、やったことがないことがたくさんあって、(あっ、ピアノの話ね、昨日の続き)それをできるようになって、歌う人に、その歌声を聴く会衆に、それから共に歌う会衆に喜ばれたい・・・。
そう思えることが、今朝はとても幸せです。
できないことがたくさんあるのも幸せ。
そして今、その思いが神さまにとても喜ばれていることを感じています。
教会でピアノを弾くようになって10年ぐらいは経つと思うのだけど、今朝、初めてそう感じるのです。
10年も弾いていて、今いうなって言われそうだけど、これを召命というのですね。
そして、それを素直にそのまま受けた時の、完全な平安とは、こんな感じなのだ・・・っと今まで、人々の証の中で聞いてきたことを体験しています。
音楽の仕事は、いつも、どこかでなんだか、人間的な思い、
高ぶり、技術の競い合い、不健康なプレッシャーを、ちらちらと感じていて私には合わない世界だなと思っていました。
それで、幼稚園で弾くピアノだけが、唯一、何も心配せずにできる私に残された私の音楽でした。
それが神さまの結論と思っていたのです。
でも、今、子どもたちの中で弾くのとは全く違うこの平安の中で、初めての祈りを奉げています。
どうぞ、私を歌う人のための道具として用いてください。
そしてその歌う人の声を通して、あなたが自身が、あなたのご栄光が現れてくださいと。
アーメン