Sunday, December 28, 2014

喜び涙~会いたかった人②

その日、エルサレムはこう言われる。
シオンよ。恐れるな。気力を失うな。
あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。
救いの勇士だ。
主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。
主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。
ゼパニア3:16、17
礼拝でいただいたことばを、家に帰って、そおっと開いてみた。
開けるかな、どうかなって、思いながら。
開けました。
礼拝では聖書を見ることもできず、ただじっと牧師の話に耳をすませていたから。
彼がこのことばを自分の内に沁み入らせることのできたその時、その出来事、そのエピソードに、私は全身を固まらせ、汗が噴き出すほどに熱くなるのを感じながら、でも身震いをする思いで聞きいりました。
それは、私の経験と同じ。
まったく同じ。
共に働いていた仲間が鬱となって会社から離れ、一緒にランチを食べた同僚が同じ日の午後に解雇通告を受け、ボスも辞めさせられ、新しいボスが全く違う方針をもって現れ・・・
私は、これは悪い夢よね~、すっかり忘れた過去だもの、もうそろそろ起きなくちゃ、ピンチヒッターで奏楽奉仕をすることをなっているのにって思ったほどでした。
私の知っている悲しみは、誰にもわかりっこないと思っていた。
鬱となった同僚も、お昼ごはんの後に辞めさせられた同僚にも、去らされた長にすら、絶対にわからない悲しみだったと思っていた。
聖書には知られない悲しみやチャレンジはないと書いてあるけど、いったいどこにこんな不思議で悲しい(癒された)傷を抱えて生きているオンナがいるだろうってずっと思っていた。
かれこれもうすぐ5年・・・。
この人が知っていた。
ここにいた。
私はこの人に会うためにここにきた。
彼の証はそこで終わり、私は最後までそこで働きました。
最後のひとりとなって、やがて幼稚園の名前が変わるその日まで。
そして私は今、私にもその時、自分の内に沁みた聖書のことばがあったことを思い出そうとしています。