Saturday, August 20, 2016

シアワセは「終わった感」にあり

おはよう。
世界が違って見える、輝いてみえる、って言ったら大げさねって笑われるかしら。
でも、そんな気分です。
今朝、4時前に目を覚めて、そっとベッド抜け出してお水を飲みにキッチンに行ったら、大分の実家の台所と同じ匂いがしてシアワセだった。
夏中をかけて、「目指せ、母の台所」をスローガンに、目につくすべての違いを彼女のレベルにまで引き上げようとした、その努力が報われた気がします。
ガラスのコップを光るまで磨こうとしてみたり、おなべはとっての付け根部分まで洗うようようにしてみたり、濡れた手でキャビネットのとってや冷蔵庫のとってをさわらないように気をつけてみたり。
★犬のじょえると一緒に歩こう、とか、髪を切ろう、とか、ガレージで眠っている芝刈り機の使い方を知ろう、とか、洗濯室に靴の棚を手作りしよう、とか、あふれてくる楽しい思いつきを整理できずに、それが、わけのわからない幸福感となって、私の中に満ちています。
こんな気もちは初めてです。
昨日の朝、この気もちを誰かに伝えたくて、仕事中のゆりかさんに手短に聞いてもらってかなり満足していたけど、今朝はもっとそう思うから、書かずにはいられません。
例えば、金曜日の夜とか、夏休みや冬休みの初日に、くり返し感じてきた開放感とは、全く違う、なんだろう・・・、一言でいうと、『終わった感』。
何が終わったのかは、自分でもよくわからないけど、いろんな危ないことが含まれていると思う。
だからこそのこの安堵。
お化粧しながらメール読みながらの、毎日往復70マイルのドライブだったり、無邪気な、でも本物の偶像との関わりだったり。
アコースティックに神さまを賛美してくれます
★昨日、ファーマーズ・マーケットで、一緒に開かれてるスリフ・トストアの50セントのCDを3枚買いました。
3枚ともジャケットの写真だけを見て選んだのだけど、2枚はまあまあ、1枚はとても良かった。
今も、その音楽を聴きながら書いています。
そうそう、iphone の音楽が戻ってきていました。
何かをアップ・デートしたはずみに、失い、何かをアップ・デートしたはずみで戻ってきた iphone の音楽。
いろんな思い出がつまっているからしばらくは聴きたくないな。
では、良い日をね。
また、書きます。