あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので、
次のすべての祝福があなたに臨み、
あなたは祝福される。
あなたは町にあっても祝福され、野にあっても祝福される。
あなたの身から生まれるものも、地の産物も、家畜の産むもの、
群れのうちの子牛も、群れのうちの雌羊も祝福される。
あなたのかごも、こね鉢も祝福される。
申命記 28:2~6
今朝は予定通り、40分ほど泳ぐことができて、身体も心もすっきりとしています。
今週は、どんなにやることに追われたとしても、この朝の40分だけは確保したいです。
軽くなった頭と首、腕と腰、そして心で、色んなことを丁寧に準備したいから。私にとって、泳ぎながらお祈りしたり、考えたり、ぽかんとすることは、聖書を読むことと同じかもしれません。
その時間を惜しんで何かをしたからと言って、それが必ずしも祝福されるわけではないように。
御声に聞き従いたいとクリスチャンなら誰もが願っていると思う。
わざわざ、神さまの声に反抗するなんて、そんなのあり得ないとさえ思っているはず。
思えば、御声に聞き従う以上に難しいことが、御声を聞くということなのかもしれません。
御心を知る、というか。
自分の判断の中に確信と平安を得ることのなんと難しいことでしょう。
でも、それも、これも、この切り分けた時間の中にこそあるのだと、最近、つくづく思うようになりました。
だから泳ぐ????
きっと誰にも理解できない不思議な行動のことでしょう。
うひゃひゃひゃひゃひゃ。
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