Tuesday, February 18, 2014

喜びと悲しみと

お互いに親切にし、
心の優しい人となり、
神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、
互いに赦し合いなさい。
エペソ4;32

神さま、ぼくは かなしいとき、あなたのたすけをまちます。
あさ日が のぼって、よるの くらやみを おいやるのを まつように。
それから ぼくは、またこのせかいを あなたの あいの光にてらされて、すすむみちを 見ながら たびをします。
日の光に てらされて、ともだちと てつないで うたをうたいながらたびをします。
月の光に てらされて、その ぎんいろの光を 信じて あなたとおしゃべりしながら たびをします。
ほしの光に てらされて、天ごくを みあげながら あなたの こえをたよりに たびをします。
この せかいのくらやみの中を あるくとき、神さま、また ぼくを あなたのあいの光でまもってください。
アーメン

おはよう。
ひさしぶりに、いつもの時間にすっきりと目が覚めました。
週末にくり返し読んだ聖書の箇所、たった一つの章を、今朝もう一度開いて読みました。
そして、なぜかとても唐突に、神さまから受けているもの、その喜びも悲しみも、全てが愛おしいと思いました。
だって、神さまがくださったものなのだもの。
昨日の朝、知らない町の、知らないお部屋の、知らないベッドで、知らないまっくろな空気に包まれて目覚めた時、思わず、神さまを声に出して呼びながら、猫のように丸まって眠るはなの背中にしがみつきました。
そして、書かれることによってではなく、書かれないことによる、悲しみ、失望、怒りを感じ、恐ろしさのあまり、あわてて跳ね起きて、裸足で部屋を飛び出しました。
そして、もうすぐ朝がくるのを知りました。
それとほぼ同時に、お部屋のテーブルの上の電話がやさしく鳴り、ゆりかさんの、「ついたよ~」の声を聞くことができました。
喜びの花束、悲しみの花束、神さまが私にくださった私の感性。
これを、やっかいとはもう思わない。
私は、愛する努力をやめない。
きっと、できるから。