Saturday, February 8, 2014

最善がいいにきまっている

Rolling Hills road の、はなが小さい頃に、よく、かりんちゃんや駿くんと遊んだ思い出の公園を、ひんやりと気持ちのよい風の吹く中、一人でくるっと歩いてみました。
歩きながら、神さまに、どうかあなたの平安を与えてくださいと祈りました。
固定遊具で遊ぶ幼い子どもたちをあたたかなまなざしに見つめるかつての私たちの横をすぎ、芝生に座って子どもたちの野球を応援する親たちの横を通りながら、空を飛ぶ鳥も、木にかけ登るりすも、芝生の中にむりやり咲くたんぽぽをも養っておられる神さまのことを考えました。
そして、神の最善の中にいるという自覚を私にくださいと、続けて祈りました。
角を曲がって、もうひとつ曲がって、そしてクルマに戻って、夫と話ました。
夫の話に全くイメージがわかず、(たぶん、それは私の方向音痴と深く関連していて)うんざりしそうになったけれど、聖霊さまに助けられて話をじっと聞いていたら、単なる模様の連続だった絵が3Dの絵として何かが見えてくるように、急にイメージがわいてきました。
話の結論がどこにあるのかもわからないまま、ただ、主の御心がひとつ、私と夫の間で成ったと感じました。
この会話までの、道のりのなんと、長かったこと。
そして、それぞれ2台に別れて、家に向う途中、もう一度祈りました。
私は長い月日をかけて最善でないことを必死に願い、求め、祈り続けてきたのかもしれません。
備えられたひとつの道へと神が私を導く時、それ以外の私の願いは、全て、あらゆる方法で閉じられるとしたら、それほど幸せなことはないなっと思いました。
だって、間違いようがないんだもの。
願いのための努力が全て徒労に終わったとしても、どんなに時間がかかったとしてもも、最善に越したことはありません。
だって、最善なんだもの。いぇい。