その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、
あなたを遣わされたイエス・キリストとを知ることです。
ヨハネ17:3
なんでもかんでもは、知らなくてもいい。
ただ、キリスト・イエスを深く知る者になりたい。
私は、知るって変ることだと思う。
知っても変らないのなら、知る前以上のことは知っていない気がするのです。
聖書や、本をパタンと閉じて、「そおか、そおか、そお~なんだ。」って思っても、人はなかなか変れないわけで、「そおか、そおか、そお~なんだ。だったらこっちね。」って選んで歩いて、転んで、起こされて、登って、落ちて、引き上げられて、そんでもって、もう少し進んで。
そうやって、ようやく、ちょびっとづつ変ってこれた私。
そうやって、ようやく、ちょびっとづつ変ってこれた私。
ある時、何度行ったところで、ここに自分で「行く」という経験をしていないのだと気づいたことがありました。
そして、私は帰りはあまりGPSを使わないという奇妙に矛盾した方向感覚障害者なのだけど、それは、どこに行っても最後は必ず帰ってきた家なので、ある程度の経験で、その方向を知っているのだと思います。
知るって経験すること。
経験するって変ること。
私は今まで、迷子者として、費やしてきた時間について考えてみたことはないけれど、もし変れるのなら、将来、迷子者として費やす時間を、キリスト・イエスを知らずに迷子になっている本当の迷子者のために使える人間に変りたい・・・。
なぜなら、主は私たちに、こう命じておられるからです。
『わたしはあなたを立てて、異邦人の光とした。
あなたが地の果てまでも救いをもたらすためである。』
使徒の働き13:47