神は、平和を得させようとして
あなたがたを召されたのです。
1コリント 7:15
この頃の、私の文章にもとても頻繁に使われることば。
「平和」。
そして「平安」。
これがどれほど、人にとって、私にとって、良いものであるのかは、もう書いても書いても書ききれません。私のうちに宿っておられる御霊は、私を神殿として住んでくださっていたのです。
それは、本当にすごいことです。
それが壊れそうになった時、勇気をふるい起こして、人生の方向転換をするように私に命じたのは、まぎれもない、この聖霊でした。
そして、聖霊がくださるまことの平安の中に入った時、私は、自分がどこから来たのかを悟りました。
この平安がその証なのです。
そして、新しい扉はすぐに開かれた。
神さまの完璧なアジェンダの中で、全てはつながっていました。
今は、新しい日々を前に向かって進むだけです。
だから私のことは忘れてほしい。
私も忘れる。
それでおしまい。本当におしまい。
今日も、良い日でありますように。
そもそも、互いに訴え合うことが、
すでにあなたがたの敗北です。
なぜ、むしろ不正を甘んじて受けないのですか。
なぜむしろだまされていないのですか。
1コリント 6:7
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