Monday, May 20, 2013

聖められた生涯~霊の聖め・分離された霊

平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。
主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、
あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られてますように。
あなたがたを召された方は真実ですから、
きっとそのことをしてくださいます。
Ⅰテサロニケ5:24
私たちのうちにあり、神を認識するところ、それが霊である。
霊は、率直に、しかも直ちに神の臨在を意識し、神との交わりを確保することができます。
善悪の違いを見分けるところ、それが霊である。
正しいことを愛し、義との調和のうちに物事を考え、識別し、かつ選びとります。
選択し、意図し、決意することによって、私たちの行為と従順を事実上、決めるところ、それが霊である。
神に信頼するところ、神を愛するところ、神をあがめるところ、神を喜ぶところ、それが霊である。
神によって生まれた霊は、神の性質によって、自我と罪ある心から分離される必要があります。
私たちいは、霊を神のものでないあらゆるものから-罪からだけではなく、この世、自我、そして生まれながらの古い生活から-分離しておく必要があります。
私たちの意図と動機は、神の栄光を目的としない一切のものから聖別されているべきです。
私たちの楽しみの源は聖められ、霊は、主の喜びと調和しないすべての喜びから切り離されているべきです。
A.B.シンプソン
私にあなたの霊を与えてくださった、天の神さま、
今日、私は自分に関する思い込みを手放す努力をしてみます。
私はこの体に仮住まいをしている霊的な存在であることを今朝、思い起こしてみました。
私はあなたの安らぎを求めます。
故郷を離れたこの地に住む間の私の生きる目的は、ただあなたの安らぎ。
今日1日、そう思いながら生きることができますように。
アーメン
今日は1日、ずっと聖霊さまのことを意識し続ける実験をしてみよう。
心のどこかに痛みを感じたら、それは誰かを責めているからかもしれない。
何かをすることがとても難しかったら、それは神さまから離れて自分勝手にがんばっているからかもしれない。
優しくなれない自分をみつけたら、それは、道に迷ってしまっているのかもしれない。
そんなふうに考えてみよう。
私の中の霊を感じながら1日をすごしてみよう。