私たちは、この宝を、土の中に入れているのです。
それは、この測り知れない力が神のものであって、
私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。
Ⅱコリント4:7
土の器は、きわめてもろくできています。
しかしキリストのいのちが私たちを所有しているとしたら、それは神の神聖と同様にその力によって満たされます。
それはイエスのいのちが私たちのうちに明らかにされるためなのです。
このいにちは私たちを肉体的な弱さのはるか上に運び、超自然的な生命力の高潮へとのせます。
そのため私たちは心の底から、このように言うことができるようになります。「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべてのもので生きる。」
神は、あなたという土の器を取り、それを聖め、啓発し、整え、そしてご自身の聖い臨在をもって満たされます。
さあ、私たち自身を神に明け渡そうではありませんか。
私たちの全存在で神ご自身を受け入れようではありませんか。
からだのあらゆる器官が、主の内住と主の内なる働きのための器となりますように。
こうして私たちの霊、たましい、からだの全部分が全く聖められ、主イエス・キリストの来臨の時、責められるところのないものとなりますように。
A.B.シンプソン
私に丈夫なからだ、健康なからだを造って与えてくださった神さま
あなたのご計画のままに、私のからだをお用いください
私の内に住まわれるあなたの思いのままに、
どうか今日、私の手や足、
私の耳や目
私の声
すべてをお使いください。
アーメン
昨日は、家族の全員でほぼ1日、夕方の6時まで断食をしました。
夫は金魚や亀にまで断食させました。
家族みんな、誰もおなかはすきませんでした。(夫は、金魚も亀もエサを欲しがらなかったと言うのです)
私は、毎朝作る4個の日本式お弁当と1個のアメリカ式お弁当を作る仕事がなかったので、何もすることがなく、朝っぱらから前庭の草取りや、枯れた葉っぱや花を取る作業をしました。
そして、ずっと祈っていました。
祈りながら、私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているという使徒の中のことばを思いました。
はなの虫歯は乳歯だったので、すでに私のおなかの中にいた頃に、神さまによってデザインされ、準備されたものでした。
すっかり治療を終えたその歯を見るたびに、その朝のこと、そしてこのことばを思い出そうと思います。
奥歯なので、はなはしばらく、その歯を使って食べ、体を成長させてゆきます。
大人の歯に生え変わるまで・・・。
私もそれまでには、もっともっと主の近くに生きる者、いいえ、主の中に生きる者、いいえ、主の中に生き続ける者にになっていたいと思います。