Wednesday, May 22, 2013

聖められた生涯~霊の聖め・満たされた霊

血肉のからだは神の国を相続できません。
朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。
Ⅰコリント15:50
私たちはまず、神ご自身の御霊によって、神のかたちに似るように新しく造られる必要があります。
さらに、神の御手によって、直接、私たちの心に天来の封印を、神の似姿を刻印されなければなりません。
私たちいは罪から離れ、聖くなることを選びます。
すると神は、私たちが差し伸ばした手に、ご自分の一点のしみもない義を満たしてくださるのです。
私たちの信仰は、神の御霊に満たされ、神を信じる信仰が与えられた結果にほかなりません。
私たちはまず、信頼することを選びます。
そうすると神は、私たちの信仰を固く維持し、それを有効にしてくださるのです。
私たちの愛は、私たちの側の単なる目的にすぎません。
力としての愛は、神のものです。
私たちが愛すること選ぶ時、神は私たちのうちにご自身を注ぎ、ご自身の御霊と愛そのものである性質を私たちに分け与えてくださるからです。
私たちがいかにもがいていてみても、神に対するほんものの愛、その愛の鼓動の一つすら造りだすことはできません。
神はご自分の完全な愛を、神を唯一の愛の対象とすることを選ぶ人の心に吹き込まれるのです。
A.B.シンプソン
眠った者の初穂であられたイエスさま、
私の自分勝手な愛を、今朝、あなたにささげます。
どうか受けてください。
そして満たしてください。
今日こそ、愛せますように。
あなたがお造りになったこの新しい日、
初穂であられるイエスさまのお名前によってお祈りします
アーメン
 
私は、イエス・キリストを信じない、あるいはどんな神も信じていな人には霊がないものとばっかり思っていました。
だから、聖霊を受けることは、ないがあるにになるだけのことで、さほど難しくないことではないって。
でもどうやらA.B.シンプソンはそうは考えていないよう・・・。
私は霊は二つしかないとずっと信じています。
良い霊と悪い霊。
聖霊と、そうじゃない霊。
A.B.シンプソンは、生まれながらの人、たましいを主体とした人に、霊を分離せよ、霊を満たされよと教えていることになるでしょ。
これは本当に聞き捨てならない奥の深い話と思い、今朝は一生懸命にコリントを読みました。