Monday, March 21, 2016

Never Take God For Granted

もし喜んで聞こうとするなら、
あなたがたは、
この国の良いものを食べることができる。
しかし、もし拒み、そむくなら、
あなたがたは剣にのまれる。」と、
主の御口が語られた
イザヤ1:19
よりよく生きることを願うのなら、日々の神への熱い思いと期待は欠くことができないでしょう。
それは明日への期待を持ちながらも、与えられた今日を喜び楽しむことです。
主の前に柔らかくなること。
現代社会のプレッシャーや緊張、ストレスは、私たちから主への熱意を奪おうとするでしょう。
あなたはそのような人々を知っています。
でも、そんなものに屈してはなりません。
私たちには、毎日、神の前に出て注がれる必要があります。
新鮮な水、新鮮な食べ物が必要なのと同じです。
昨日の、マナは食べられないのです。
私たちは、毎日、主への熱意と期待を新たにし、そして注がれることが必要です。
私たちの人生は結局それが全てなのです。
STAY FILLED WITH HOPE.
Your Best Life Now より
イザヤ書の1章をじっくりと読みました。
何度読んでも新しい発見があります。
12節に「あなたがたは、わたしに会いに出て来るが、だれが、わたしの庭を踏みつけよ、とあなたがたに求めたのか。」
重たいことば。
日々のデボーション、聖日礼拝への戒めです。
16節「洗え。身をきよめよ。わたしの前で、あなたがたの悪を取り除け。悪事を働くのをやめよ。」
誰が何を考え、言ったり、やったりしても、それについて立ち止まってじっくり考えこんではならないと、この2、3日ずっと励まされている気がしてなりません。
なぜだかわからないけど。
でも、今朝ここを読んで、それが私へのこの世界からの磁石のSN関係であるのかもしれないなっと思いました。
私が、もし、秀でた者(主の目にね)になれるとしたら、それは朝早く起きることにかかっています。
時計が夏時間に変わって、ちょっとルーズになっていたけど、今朝から、もう一度、心新たに出直します。
「さあ、来たれ。論じ合おう。」
と主は仰せられる。
たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くでも、
雪のようにしろくなる。
たとい、紅のように赤くでも、羊の毛のようになる。」
イザヤ1:18

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