その日になると、
彼の重荷はあなたの肩から、
彼のくびきはあなたの首から除かれる。
くびきはあなたの肩からもぎ取られる。
イザヤ10:27
今朝からイザヤ書がスタートしました。
ざざっと10章を読みました。
24節、「それゆえ、万軍の神、主は、こう仰せられる。」という書き出しで始まり、「シオンに住む私の民よ。アッシリアを恐れるな。彼がむちであなたを打ち、エジプトがしたように杖をあなたに振り上げても。」と続き、そして、上のこのことばで鉤括弧が閉じられます。
とても意味深な内容です。
「その日」とは、もうすでに始まっていると、最近の礼拝メッセージで聞いたばかりだから、そういう心で読んでみました。
聖書のあちこちに散りばめられた、「その日」をキリストの再臨の日、この世界の終わりの日と読むのと、今、まさに、今日と読むのでは、自分自身の今日という日へのインパクトが全く違ってきます。
それが、もし、キリストの十字架の日であるなら、もちろん、今はまさに「その日」に含まれ、私の重荷、私のくびきはすでにもぎ取られているということになります。
最も長く共に働いてきたクリスチャンのコ・ワーカーがよく口にする言葉に、「サタンは働いている」というのがあります。
主は働いておられるけど、サタンも頑張っているという意味です。
くびきはまだある、重荷はまだまだあると見せかけ、その実、自分が神さまのふりをして全体重をかけているということもあるのかもしれません。
★今朝、起きたら、私の手帳の上にこれがポンと置いてありました。
昨日、大きな手のひらサイズのドライブに、「なんで、こんなに大きいのに、もう、入らないの?これ以上捨てられないし、インターネットの使えないところでも読んだり書いたりしたいから、公のドライブには入れたくないのに〜!!!」と心の中で叫びながら、作業していたその心の叫びが聞こえたかのような、不思議すぎる贈り物。(しかも私の好きなさくらんぼ色)
誰が置いたのかもわかりません。
サタンも働いているかもしれないけど、神さまはそれ以上に働いておられる。