その日、人は自分を造られた方に目を向け、
その目はイスラエルの聖なる方を見、
自分の手で造った祭壇に目を向けず、
自分の指で造ったもの、
アシュラ像や香の台を見もしない。
イザヤ 17:7
今朝は、11章、「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。」から7章を読みました。
同じ章の11節に「その日、主は再び御手を伸ばし、ご自分の民の残りを買い取られる。」とありました。
切り倒された根株から奇跡の若枝が出た日、私は買い取られた残りの民だったのだろうか。
それとも、残りの民とは、すでに救われた私が今一生懸命にとりなしている夫やお兄ちゃんのことなのだろうか。
そして17章、人は、つまり、全人類は、自分をお造りになった方を見る。
一生懸命に拝んできた偶像を忘れ。
私は大すきです。
とっても難しいけれど。
「狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎと共に伏し、」を読むと野菜を食べて愛し合いたいと思います。
「暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。」を読むと賛美の奏楽の奉仕のためにますます主の霊に渇きみことばをよく読み、よく祈る礼拝者となれるようにと思います。
そして、「その日、人は自分を造られた方に目を向け」を読むと、私はその時、本当に主だけを拝んでいるだろうかと思います。