見よ。
わたしはシオンに一つの礎を据える。
これは、試みを経た石、
堅く据えられた礎の、尊いかしら石。
これを信じる者は、あわてることがない。
イザヤ 28:16
同じ16章の12節に、“主は、彼らに「ここにいこいがある。疲れたものをいこわせよ。ここに休みがある」と仰せられたのに、彼らは聞こうとはしなかった。” とありました。
私は、ちゃんと主の前にいこうことをしているかな。
毎日、朝だけ、聖書を開いて、毎日、朝だけ、祈ることをご自分の前にいこうことと主は見てくださるかな。
連休中に考えたことは、私は正しい場所で正しい時間に、正しい優先順位で正しいことをしているだろうかということ。
早朝の我が家の食卓で聖書を開いてみことばから御心を探すのはたぶん正しいことだと思う。
子どもたちが帰った後の静かな教室で、聖書や資料を開いて進学や進級のために親として何を準備すべきを話す内容をまとめるのも、きっと正しいことだと思う。
違う時間に違う場所でやろうとするから、なかなか仕事が進まない。頭がまとまらない。
はなのバレエスクールのラウンジのテーブルでラップトップと聖書を開いて、礼拝賛美のための選曲とその配信メールを書くことも正しいことだと思う。
それも、できていない。
これも違う時間に違う場所でやろうとするから、必要以上に時間がかかっている。そして適当なところであきらめている。
それが、頭のごちゃごちゃを抱えたまま心は全き平安でいるための唯一の方法のような気さえしています。
「これを信じる者は、あわてることがない」って、今朝もそう言われた。と思う・・・。