Sunday, January 31, 2016

「嘆きの淵にある時も」とふくらみたい私の髪

聖なる主の日、いかがでしたか。
私の礼拝はこのうえなく、聖らかで、温かで、そして愛に満ちておりました。
ピアノを8箇所ぐらいとちって会衆をずっこけさせそうになったのに、誰もずっこけずにいてくれ、それどころか、ますます熱心に歌われたことに、愛され、受け入れられていることを感じることができました。
礼拝前のワーシップ・チームでのグループデボーションでは、教会内での、奉げる音楽についての批判をbitterではなくbetterにする機会にとらえようというシェアリングをあり、尊い祈りが次々に積まれ、心からアーメンと思いました。
そして、私の番になった時、私は、自分の中に、もし、bitter があるなら、取り除き、根絶してくださいっと個人的な祈りを添えることを許してもらいました。
bitterをbetterに、そしてbetterをbestに変えてゆきたいです。
神と、神が作ってくださった仲間たちと共に。
その祈りが天に届き、そして、8箇所ぐらいとちったけど、バンザイな賛美となったのだと思います。

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追記:わがままでくせのある天才肌の矢野顕子の音楽に関しては感じ方もいろいろと思うけど、このビデオはクリスチャンになら、そのよさが絶対にわかってもらえると思う。
私は究極的には、このようにピアノを弾きたいと思うのです。
そして、全然関係ないけど、このふわふわな髪の毛が大すき。
すごい天然パーマだけど、パーマかけてますますふくらみたい私の髪。