さて、アロンの子ナタブとアビブは、
おのおの自分の火皿を取り、
その中に火を入れ、
その上に香を盛り、
主が彼らに命じなかった異なった火を主の前にささげた。
すると、主の前から火が出て、
彼らを焼き尽くし、
彼らは主の前で死んだ。
レビ記 10:1,2
お隣のクラスの先生が、よく言う例えに、「ノアさんは、キリンのために細長いドアをもう一つ作ったでしょうか?いいえ、ドアはひとつでした。なぜならそれが神さまのノアさんへの命令だったからです。だからノアさんは小さなネズミくんが迷わないようにと、小さなドアをもうひとつ作ることもしませんでした。」というのがあります。
なるほど、彼女とはそういう人です。
だから、そういう祝福にあふれています。
私は、うっかり、気を利かしてキリンのため、ネズミのためのドアを作りかねない人。
祝福もあるけれど、場合によっては、頭をぐぐっと押さえ込まれ「うっ、余計なことでした。ごめんなさい。」と学びます。
まだ、焼け死んではいないけれど、人ごとではない、主の教えです。