Wednesday, May 30, 2018

申命記4章

あなたがたは十分に気をつけなさい。
主がホレブの火の中から
あなたがたに話しかけられた日に、
あなたがたは何の姿も見なかったからである。
申命記4:15
ものすごくはっとさせられるみことばに、今朝も1章も読めませんでした。
偶像へのモーセの警告です。
私たちは、何もそれが偶像だとわかっていて、礼拝し、崇拝し、夢中となってゆくにではありません。
その中に神の御栄光があると、勝手に思い込んでしまうのでした。
なぜでしょう。
だって、誰もかつて、神を見たことがないからです。
イスラエルの民はホレブの火から語られた主の声を聞きました。
だから、火を拝みたくなったり、自由時自在に空間や時間をも支配されている神が、今日はこの谷にいらっしゃるかもって、信じたくなるのは本当に仕方のないことのように思えます。 
昨日、プールでの祈りの、いの一番、いかなる偶像との関わりをも断たせてくださいと祈ったばかりだったから、今朝、月曜日の続きの通読から、ほんの数行のここで、ドカンと心が打たれてしまいました。
偶像は何も、お地蔵さんやマリア像のように石や木ばかりではできていない。
偶像は何も、ポルノやオカルトのように悪の形ばかりはしてはいない。
偶像は何も、ギャンブルや過食のように罪悪感を一緒に連れてきてくれるものばかりではない。
偶像は、時々、私たちが心から慕い愛するまことの神のような顔をして(みたことないっちゅ〜の!by モーセ)「かみのみこころ〜」「しゅのみちびき〜」等のことばとセットでやってくる。