あなたがたは、
あなたがたが住んでいた
エジプトの地のならわしをまねてはならない。
またわたしがあなたがたを導き入れようとしている
カナンの地のならわしをまねてもいけない。
彼らの風習に従って歩んではならない。
あなたがたは、わたしの定めを行い、
わたしのおきてを守り、
それに従わなければならない。
わたしは、あなたがたの神、主である。
レビ記 18:3,4
神さまに祈り、神さまの導きに従った時に得ることのできる満足を平安と呼ぶと思うのだけど、この神さまからいただく平安と、日本語で一般的によく使われる平和は、あまり似ていません。
プールで祈った後、次にひとりで祈れるのは、帰りの車の中です。
「もう一度、朝みたいに、私をあなたの愛で満たしてください。疲れて帰って来た家族に、心からの『おつかれさま』が言えますように。」
と祈ります。
それでも、半分以上は負けています。
サタンの誘惑に。
帰って、ドアを開けた瞬間、私の口から飛び出す言葉は、「ここに、バックパックを置かないでって、何度もお願いしているけど」。
ドアを開ける前にもう一度一息で祈る時、そのバックパックを持ち上げて、はなの部屋のドアの前に置き、私は何事もなかったかのように、自分の部屋に行って、大荷物を下ろしてベッドに座って靴を脱ぎながら、「主よ感謝します」と言います。
その時に得られるのが私の主からの平安です。
朝、なにもかもきちんと片付けて出かけても、帰ってきたら、ぐちゃぐちゃで、キッチンのシンクにアイスクリームやコーヒーの洗い物が積まれていて、そこから、晩御飯の支度をしなければならない時の挫折感を主に委ねて、「はなちゃん、今日はどうだった?」と言えた時の平安は、何にも変えられません。
でも負けてばかりです。
ほとんど惨敗。
毎朝、今日こそ従おうと思います。
今朝もそう、思うのです。