Sunday, May 20, 2018

民数記 11章

主の手は短いだろうか。
わたしのことばが実現するかどうかは、
今わかる。
民数記 11:23
過越とその翌朝のどさくさにまぎれて、エジプトから一緒に出てきた、外国人の小さなつぶやきが、やがて、イスラエルの民全体のモーセ隊長への、「肉が食べたい」という大きな泣き叫びとなり、主は、モーセも頭上を超えて、この民に盛大な肉を浴びせて、疫病で打ちました。
そして、主は、モーセが民の文句に疲れ果てないように、彼が主と共有していた霊を70人の長老たちに分け与えてくれます。
さらに、12章では、赤ちゃんモーセを賢く守ってくれたお姉ちゃんのミリアムのことも、ツアラトで打ちました。
モーセに文句を言ったからです。
文句は、今更どうしようもない、モーセのクシュ人の妻のことだったけど、私、彼女は70人の長老たちがもらった主の霊がおもしろくなかったのではないかなっと思う。
(女の子って、よく、そういう文句の言い方するのよね。本題、本心からかなりずらして本音がバレないように、相手の間違いや失敗を指摘するの)
さて、ここから私が学べること。
それは文句は禁物ということ。
現実が、自分の目にどう見えようが、何を感じようが、主の立てた長に文句を言うのは賢い生き方では決してない、ということ。
幸い、私たちには、モーセや70人の長老達が共有していた霊を持っているのだから、文句はモーセのように、主に直接ぶつけるべし。
Complain to God about God。