Wednesday, October 11, 2017

朝ごとに 10・11

私たちの道を尋ね調べて、
主のみもとに立ち返ろう。
私たちの手をも心をも
天におられる神に向けて上げよう。
哀歌 3:40,41
もし神が、私たちの祈りなしに恵みを与えられるとうれば、私たちは決して、自分の貧しさを知らないであろう。
しかし、真の祈りは欠乏の目録であり、必要のカタログであり、隠れた貧困の暴露である。
それは神の富を求めるものであるが、また人間の空虚さを告白するものである。
クリスチャンの最も健全な状態は、常に自己を空しくして主の供給により頼むことである。
常に自己を貧しくし、キリストにあって富むことである。
C.H.スポルジョン 「朝ごとに」より
今月は「忠実な人は多くの祝福を得る」という難しいみことばを、子どもたちと学んでいます。
忠実は難しいから、祝福から、イメージとことば集めをしています。
昨日、今月恒例の「祝福ってなに?」との掛け声に、「お風呂」と言ってくれた子どもいました。
その後、「お金」も出ました。
みんなで笑って、その後、「どうして?」って私が聞くと、「だって、お金がないとパパとママ、ごはんが買えないもん」って。
うんうん、そうだね。ごもっとも。
全員で深くうなずきました。
私の子どもたちに伝えた祝福の定義は、「神さまがくださるうれしいもの」です。
いろいろ集まった最後に、忠実については何も話さず、みんなで「どうやったら、まだ私たちが知らない祝福をいただけるのか教えてください。アーメン」と祈りました。