私はあなたがたをほんとうに愛しています。
私だけでなく、真理を知っている人々がみな、そうです。
このことは、私たちのうちに宿る真理によることです。
そして真理と愛のうちに、
御父と御子イエス・キリストから来る恵みとあわれみと平安は、
私たちとともにあります。
Ⅱヨハネ 1~3
ひとたび神の真理が人の心に入り、そのすべてを制服するならば、人の力も悪の力もそれを追い出すことはできない。
私たちはそれを客としてではなく、主人として迎える。
そして神から受けた真理に応じて兄弟を愛そうではないか。
ことに、心を傾けて真理を愛し、身をもって真理の伝達に当たりたい。
C.H.スポルジョン 「朝ごとに」より
真理、真理とあまり口にしないようにしています。
こうして、真理について読んでみると、ますます、それは、私には恐い領域です。
Ⅱヨハネは6にこう続きます
「愛とは、御父の命令に従って歩むことであり、命令とは、あなたがたが初めから聞いているとおり、愛のうちを歩むことです」
なんとも複雑な構図ではありませんか。
そして、真理とはそれ自体が絶対的に正しいと理屈を超えて、わかってしまう、律法の全体像であると私は、考えているわけだけど、そんなこと、ことばにはできないし、してもならないって、思うのです。
だから、スポルジョンは「身をもって」と教えているのだよね・・・。