その人は悪い知らせを恐れず、
主に信頼して、その心はゆるがない。
その心は堅固で、恐れることなく、
自分の敵をものともしないまでになる。
詩篇112:7,8
クリスチャンよ。
悪い知らせを恐れてはならない。
主に信頼を置いて、忍耐強く主を待て。
あなたが悪い知らせを聞いて恐れるならば、自分の義務を自覚し、逆境に耐え、冷静に当たることができなくなるからだ。
もしあなたが臆病風に取りつかれるならば、どうして神の栄光を現わすことができよう。
あなたの契約の神の誠実に、さらにより頼め。
C.H.スポルジョン 「朝ごとに」より
詩篇112編は、こう続きます。
「彼は貧しい人々に惜しみなく分け与えた。
彼の義は永遠に堅く立つ。
その角は栄光のうちに高く上げられる。
悪者はそれを見ていらだち、歯ぎしりして溶け去る。
実は、私には「絶対に問題を起こす人」という呪いがかけられています。(絶対という保障つき、しかも2重に)
以来、すっかりしょげて自信を失くしています。
自信を失くしたぐらいが、ちょうどいいなんていう、軽口も聞こえなくはありません。
家の方角から、夫あたりね。
家の方角から、夫あたりね。
今朝、この詩篇の112編をスポルジョンのメッセージと合わせて読んでみて、この枷を神さまからのプレゼントと考えるのはどうだろうって思いました。
そのおかげで、良いこともいろいろあったのです。
目標に向かって生き生きとした日々を得るために祈れば、別の方向からもっともっとよいアイディアが浮かぶものです。
こだわりはどんどん過去のものとなり、そんなものにすがる時間も心もったいないと考えるようになりました。
それは、神さまのプレゼントに違いありません。
ハレルヤ、神さま、ありがとう。
スポルジョンにも、サンキューです。