私たちの門のそばには、
新しいのも、古いのも、
すべて、最上のものがあります。
私の愛する方よ。
これはあなたのためにたくわえたものです。
雅歌 7:13
初めて主を知った時に、私たちには喜びがあった。
それを復活させようではないか。
病んでいる時にも、神はいかにやわらかに私たちの床をのべられたか。
深い水の中でも、いかに穏やかに支えてくださったか。
燃える炉の中から、いかに優しく救ってくださったか。
実にこれが古い果実である。
今朝私たちは、新旧とりどりの果実をもつ。
しかし、要は、それがすべてイエスのために蓄えられていることにある。
まことに、しれは最上の、最も受け入れられるべき奉仕である。
そしてこの奉仕において、イエスがたましいの唯一の対象であり、混じり気のない主の栄光が、私たちの努力の目標である。
私たちは、多くの果実を、愛する方のためにのみ蓄えようではないか。
C.H.スポルジョン 「朝ごとに」より
雅歌7章の12節にはこうあります。
「私たちは朝早くからぶどう畑に行き、ぶどうの木が芽を出したか、花が咲いたか、ざくろの花が咲いたかどうかを見て、そこで私の愛をあなたにささげましょう。」
はなは、小さい頃、いえ、3年生ぐらいまで、よく担任の先生に手作りのプレゼントを作って、学校に持って行っていました。
一生懸命に集めたレースやリボン、大切にしているキラキラしたかわいい宝ものを気前よくふんだんに使って作っては、持って行っていました。
幼稚園でいただいたお誕生日カードにも、学年末に先生方が書き送ってくださったカードにも、よく、この手作りのプレゼントのことが書かれていました。
好きという気もちを伝える最も純粋な方法は、大切なものをあげる、ということなのだと思います。
天の神さまが私にイエスをくださったように。