Sunday, October 8, 2017

朝ごとに 10・8

「深みに漕ぎ出して、
網をおろして魚をとりなさい。」
ルカ 5:4
「先生。私たちは夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。」
なぜであろう。
彼らは熟練した漁師ではなかったか。
確かに彼らは無経験ではない。
仕事に精通していた。
彼らの仕事に手ぬかりがあったか。
否。
彼らは怠けていたか。
否、彼らは骨折って働いた。
彼らに忍耐が欠けていたか。
否、彼らは夜通し働いた。
湖に魚が不足していたか。
決してそうではない。
なぜなら、主が来られるとすぐ、おびただしい魚の群れが網の中に入って来たからである。
では理由はどこにあったか。
それは、手段そのものも、イエスを離れては力ないことを証明している。
イエスと共にいなければ、私たちは何事もなすことはできない。
しかし、イエスと共にであれば、一切のことをなすことができる。
キリストのご臨在が成功を与えるのである。
C.H.スポルジョン 「朝ごとに」より
キリストと共に、書いたスポルジョンの文章が私の魂を揺さぶります。
ただ大漁をふるまったわけではなかったイエス。
漁師も彼らの経験も舟も網も、そして、彼らのチームワークも、全て用いて、そして、そこにご自分を注いでくださったイエス。
そこにイエスがいなければ、私たちは何事もすることはできないと、スポルジョンは言います。
アーメンです。
私が何をしたとしても、そして、何をしなかったとしても、そこにイエスがいれば、イエスさえいれば、私の仕事は決して虚しくはない。
良い聖日、主の日をおすごしくださいますように。