Thursday, October 12, 2017

朝ごとに 10・12

私は、あなたの戒めに思いを潜め、
あなたの道に私の目を留めます。
私は、あなたのおきてを喜びとして、
あなたのことばを忘れません。
詩篇119:14,15
孤独が交わりにまさり、沈黙が会話よりも懸命な場合がある。
私たちがさらに孤独になり、神に仕え、みことばを熟考することで、奉仕のために働く霊的な力を蓄えるならば、さらに良いクリスチャンになることができよう。
私たちは神のことを黙想しなければならない。
それによって真の栄養を得るからである。
真理はぶどうのふさのようだ。
もしそれからぶどう酒を得ようとすれば、私たちはそれを押しつぶさなければならない。
私たちのからだは、単に食物を口に入れるだけで支えられるのではない。
外なる食物が内なる生命に同化されるのは、消化の働きがあるからである。
私たちのたましいは、単に神の真理を聞きかじることによって養われるのではない。
聞くこと、読むこと、しるしをつけること、学ぶこと、これらの働きを完成し、有用なものとするには、内なる消化が必要である。
そして真理の消化は、大部分はその黙想によってなされる。
C.H.スポルジョン 「朝ごとに」より
神さまのみこころって、何にも考えていない時に、天から降ってくる。
例えば私の場合、いろいろあれこれ、忙しく思ったり考えながら泳ぎながら祈った後、放心している、ジャグジの熱いお湯の中。
その後のスチームの中。
そして、からっぽになって、いつもの順序で機械的に体や髪の毛を洗う、シャワーの下。
ぼ~、となっているところに、パーソナルなメッセージが天から降ってくるのです。