Wednesday, October 11, 2017

ねじこまれた祝福

★とっても良い日だった。
良い日って、自分では作ることはできないけど、選ぶことはできる。
でもね、選ばなくても、神さまに、この胸にねじこまれることも、あるんだなって思った。
お箸をクロスさせて、戻しながら摘むの
すごく嫌だけど、直してあげられなかった
そんな一日でした。
思えば、私の日々って、実はほとんどそうなのかもしれません。
どれだけ、私ががんばろうが、がんばるまいが、そこには私の祝福があり、そして、祈ることで、それが現実となります。
例え、祈っている時は正気、生きている時は狂気という、180度の方向の違いがあったとしても。
★今日、はなはサイエンスのクラスの遠足に行きました。
その遠足に参加するために彼女なりの努力をしていました。
夕べ、はなは、それに参加できることが、どれほど、幸運で、それが、きっとどれだけ、楽しくて有意義であるかを、ほとんど英語の単語で、でも文法はかろうじて日本語で話してくれました。(伝えたい気もちが大きければ大きいほどそうなるこの頃のはな)
今、私にとって一番の心配、一番の祈りの課題ははなです。
本当に、よくわからないのです。サイエンスって、何よ。あんたそれ、いつも 2で、「大きらい」って言っていたのに。
でも、彼女はそんな私の心配をよそに、彼女のペースで、歩いていているんだなと思った。
★そして、今朝、Y の熱いシャワーの下で聞こえた気がした、神さまの声。
「あなたはもっとひどかった。あなたはもっと親に心配をかけた。あなたには出来すぎな子だ。あなたの心配はあなたの分を超えている。思い出しなさい。」という感じのぼよんとしたイメージ。
うっ、確かに・・・。