高校生の進路のコンサルタントのようなひと、私が心から信頼を寄せる女性、この秋シニアになる子どもを持つ母親、フルタイムの仕事を持つワーキングマザー・クリスチャンの彼女から、朝とそして夕にお電話をもらい、私は愛する彼女にはっきり言った。
私は私のやり方で子を育てますと。
賢人は6月2日の17歳のお誕生日に、実はプリ・カリキュラスでDをもらって、GPAが3をきったと教えてくれました。
私は、彼の悲しみがDにでもなく、GPAが3をきったことにでにでもなく、プリ・カリキュラスがよくわからなかったこと、そして、わかりたいこと、数学は嫌いじゃないから、ちゃんとわかって次に進みたい気持ちを汲み取ることをせずに、ただ成績の落ち込みのみに反応していました。
そして、大騒ぎをした。
後ろには、賢人が泣き顔でしがみついてきているとばかりに思っていた、。
でも、事実はそうではなく、彼は、Dも、3をきったGPAも、大学はおろか、将来さえも、そのわからなかったプリ・カリキュラスの前ではちっぽけな問題だったのです。
だから、私は彼の気持ちに添う決心をしたのです。
それこそが、彼の問題。
それこそが、主の問題。
それこをが、私の問題。
再重要重大優先事項。
愛するってそういうこと。
世界が何を大切って言おうといも、愛する人のだいじが私のだいじ。