書こうかな、どうしようかな。
よし書こう。
教会の図書で借りて読んでいる本で、死ぬほどおそろしい文章に出会ってしまいました。
その文章を読んだのは、日曜日の午後なのだけど、以来、1日3回ぐらいその文章を思い出してイメージをわかせて震えています。
一ヶ月後ぐらいにはきっと慣れると思うのだけど、まだ全然こわくて、書くなんて絶対無理って思っていたけど、でもすごい文章なので、やっぱりシェアせずにはいられません。
ジェームス・ドブソンという人の『苦難の時にも』という本です。
第9章 罪の報酬の中の一節です。
まず、ローマ7:24の「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」が示され、以下はその中の死のからだについての彼の説明文です。
ここでいう、「死のからだ」とは何でしょう。
これは当時ローマ人が用いた、恐ろしくおぞましい処刑法に由来しています。
処刑を宣告された者に死体をくくりつけて絶対に解き放てないようにするというやり方です。
腐敗していくしかばねは、やがて犯罪人の身体をも侵し始めるのです。
当然、囚人は恐ろしい病気や伝染によって、苦しみながらじわじわと死を迎えます。
パウロは言います。
これこそ、罪が人をおかすやり口そのものだ、と。
罪は寄生虫のように人については、その触れるものすべてに害を加えていくのです。
ひょえ~でしょ。
死のからだって、例えば、麻薬だったり、たくさんすぎるお酒だったり、危険なセックスだったり、クレジットカードでの衝動買いだったり、暴力だったり、過度の仕事だったり、食べすぎだったり。
わかりやすすぎて、死ぬほどこわい。
私は、恐ろしさのあまり、いろいろ問題がありそうな自分の生活を点検しまくっています。
文章を注意深く読んでください。
罪が人をおかすやり口です。
人が罪をおかすやり口ではなく。
ここでもう一度、ひょえ~となるのです。