その日には、光も、寒さも、霜もなくなる。
これはただ一つの日であって、これは主に知られている。
昼も夜もない。夕暮れ時に、光がある。
その日には、エルサレムから湧き水が流れ出て、
その半分は東の海に、他の半分は西の海に流れ、
夏にも冬にも、それは流れる。
主は地のすべての王となられる。
その日には、主はただひとり、御名もただ一つとなる。
ゼカリア書14:6~9
全てが一時的って、辛いときには大きななぐさめになるけど、幸せなときには胸がきゅんとせつない。
薄暗い倉庫の中で、大きな箱から、米ふくろにお米を入れている夢。
その米ふくろには裂け目があって、そこからお米がこぼれてしまうのだけど、そのぎりぎりまで、がんばってお米を入れようとしていました。
入り口から、誰かがやってきて、私はまぶしくてその人が誰か見えないのだけど、新しい袋をくれて、無言でお米をいれるのを手伝ってくれました。
私は、心の中で、「でも、そんなにたくさん入れてもらっても、かつぐの大変なんだけど。それに古い袋だって、まだ完全に破れたわけじゃないから、使えたのに。」ってちょっぴりありがた迷惑的に感じている夢。
私は、あまりにも小さな幸せにしがみついてはいないかな。
それで、そっと、人知れず、神さまのくださる無限をイメージしてみています。
追記:それで思うのは、電話をiphonに換えたらびっくりするほど便利になったけど、ぱこんって開く電話の頃は、それで充分に便利で幸せだったのよね。
まいこちゃんに、「この頃のテレビって、止められるのね、はなちゃんがトイレに行っている間、番組がトイレから戻ってくるはなちゃんを待っているなんて、今だに信じられないのだけど。」って言うと、「まきさん、それ、10年前からそうなんだけど」って言われてびっくりしました。
裂けていない米ぶくろは、実はそれほど重くないと信じるのと同じぐらい、信じ難いこの頃のテレビです。