Friday, October 14, 2016

Ⅱ歴代誌 1章

その夜、
神がソロモンに現れて、
彼に仰せられた。
「あなたに何を与えようか。願え」
Ⅰ歴代誌 Ⅰ:7
もし、今夜、神さまが、あなたに、御声を現され、「あなたに何を与えようか。願え。」と言ったら、なんと応えるでしょうか。
私は、きっと、「お兄ちゃんに癒しを、夫に救いを」と願うと思います。
そう思ってから、少し考えてみます。
昨日ゆりかさんが、「救いのために家族の名前をひとりひとりあげて、祈っているけど、たくさんいるから大変」と笑いながら言っていました。
彼女は4人の子持ちで、最初の女の子の夢ちゃんは結婚して2人の子どものお母さんになりました。
彼女ほどじゃないけど、私も最初は一杯いたんだった。
夫、賢人、はな、父、母、兄。
でも2007年に賢人が受洗し、2015年にはなが夏のバイブル・キャンプから帰ってきて、興奮してイエス・キリストが自分の罪のために十字架に架かってくれたからはなは自由になれたと告白し、父と母が今年の夏、イエスに頼るほかなしと、キリストを救い主として受け入れました。
考えたこともなかったけれど、それは、決してオートマティカルに起きた出来事ではありません。
私は、確かに「願った」。
祈ったり、祈らなかったり、何かしたり、しなかったり、信じたり、疑ったり。
ふらふらと葦のように揺れながら、でも確かなことは、私はいつもそのことを「願った」、ということ。
「あなたに何を与えようか。願え。」
祈れなくても、何もできなくても、信じられなくなりそうになっても、願うことだけは、決してやめまい。そう思います。