Monday, October 17, 2016

Ⅱ歴代誌 7章

わたしの名を呼び求めている
わたしの民がみずからへりくだり、
祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、
その悪い道から立ち返るなら、
わたしが親しく天から聞いて、
彼らの罪を赦し、
彼らの地をいやそう。
Ⅱ歴代誌 7:14
ソロモンのとりなしの祈りに対する、主の御声です。
Ⅰ列王記の中でここを読んだ時には、「私にはソロモンのとりなしはいらない。私は、私の必要を自分で祈ることができる。」そう思って、そう書いた気がします。
でも、今朝はなぜか、実はとりなしって、本人が気づかない、本人の必要を祈ってくれることなのかもしれないなっと思います。
しとしと降る雨を窓ガラス越しにうっとりと眺めながら、月曜の朝に、家にいて、雨にみとれてているということに、神さまに感謝しました。
405フリー・ウェイは北向きも南向きも走れば走るほど、事故や水溜りでいつも以上の大渋滞だと思います。
私は、お金の計算がすごく苦手で、どんぶり勘定すら上手ではないけれど、「どうして、働かなくても、食べていけるのだろう?」と超・素朴な疑問にぶつかり、ちょっと考えてみました。
夫や、父や母、あらゆる公共のサービスを通して、私の代りに神さまが働いて、神さまが支払ってくださっているとしか思えません。
賢人に対するファイナンシャル・エイドも、夫と私の健康保険も、賢人の保険も、はなの保険も、ソーシャルセキュリティーも、私が祈り求めたものではありません。
私にはそもそもそれについて祈るという知恵さえありませんでした。
神さまに直接全てを祈ってきたと考えるのは大きな間違いでした。
悔い改めるべき、大きな罪だと思います。