また、信者であるあなたがたに対して、
私たちが敬虔に、正しく、
また責められるとことがないようにふるまったことは、
あなたがたがあかしし、神もあかししてくださることです。
Ⅰテサロニケ2:10
あなたは言うでしょう「Depreciation Room にあることばは真実だ」と。
そうなのでしょう。
でも、Appreciation Room に書かれていることも真実なのです。
私たちは、みな、未解決の問題と、傷と、そして個人的な重荷を背負って生きているのです。
それが罪人である私たちの悲しい側面です。
その不幸な傾向の中で、私たちは、ネガティブにパートナーの失敗を責め合っているのです。
本当の問題に立ち返ること。
愛はDepreciation Room のことを知っているし、その存在を否定はしていません。
でも、愛はそこで暮らすことを選ばないのです。
苦しい人間関係の悲しかった出来事の後、いつまでもそこにい続けることをやめる決心をしなければなりません。
愛とは、人々の良いところを信じることです。
愛は、疑いの中でも与えること。
愛はネガティブを信じません。
The Love Dare より
今朝の聖書のことばは、今週の礼拝の中心聖句として、ワーシップの選曲のために送られてきたことばです。(ちなみにテーマは「教会・イエスキリストとは」です)
起きて一番にそこを開いて読み、それから、The Love Dare を訳して「今日はこれね」と思いました。
月曜日と火曜日のルカ書も、別な視点で考えていて、でもThe Love Dare にもうまくからんできました。
イエスさまが私をあっちこっちバラバラにならないようにと、包んでくださっているようです。
夕べ、賢人の卒業前の行事について書いたのだけど、今朝、このみことばを読んで、そして、削除しました。
神さまは、信じるべき存在であって、私に夢をみせてくれたり、私の味方として存在しているのではありません。
クリスチャンのことを信者と書いています。
信じる者って。
だから、信じよう。
そして、その結果はイエス・キリストのもの。
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