Sunday, April 26, 2015

Love is not jelous

私を封印のようにあなたの心臓の上に、
封印のようにあなたの腕につけてください。
愛は死のように強く、
ねたみはよみのように激しいからです。
その炎は火の炎、すさまじい炎です。
雅歌8:6
ジェラシーは、男性を最もつよく駆り立てるもののひとつです。
それは、zeal という言葉「激しい炎で焼き尽くす」から来ています。
詩篇にはこのように書かれています。
『憤りは残忍で、怒りはあふれ出る。しかし、ねたみの前にはだれが立ちはだかることができよう。27:4』
ジャラシーにはふたつしかありません。
つまり愛による合法的なものと、妬みによる非合法のものです。
合法的なジェラシーは、自分に属する愛する人が、誰かほかの人に自分を与える時に、起きる怒りであり、彼の愛が彼女のものであるゆえんです。
聖書には、神も彼の民に対してこの義なるジェラシーを持っておられると書いてあります。
全てを所有されておられる神が、私たちを愛するゆえに、私たちの全てを求めておられるのです。
神は、深く、私たちが彼への最初の愛にとどまることを、望んでおられます。
神は、ご自身こそが、私たちの願いを満足させることのできる唯一の存在であることをご存知だから、私たちの心が彼から他のものへとそれていくことを願わないのです。
聖書は、私たちに神々を拝むことを禁じています。
それは、『あなたがたの神、主の命令にそむいて、どんな形の彫像も造ることのないようにしなさい。あなたの神、主は焼き尽くす火、ねたむ神だからである。申命記4:24』だからです。
The Love Dare より
いつだったか、ゲストスピーカーとして招かれ、メッセージを取り次いでくださった、若い牧師の話しを思い出しました。
その日のことは、一生忘れることはないと思います。
彼の、神の愛についての話は、このジェラスにもふれていて、それは聖霊さまによって、あなたは、知っているはずだという、とてもインパクトとあるメッセージでした。
彼はニコニコと笑顔で、私の目を見つめながら挑戦的に、そう言い放ったのです。
そして、礼拝後、一番後ろの席に座っていたにも関わらず、なぜかもう一度、目があったので、私は、彼に「確かに私は聖霊さまによって、神のジェラシーを知っています。私はほとんど1日、この葛藤と闘っているのです」と言いに行くと、彼はとてもうれしそうに、「それは、いいことです。あなたは本当に救われているのですから。」と言いました。
合法的なジェラシーのルーツがここにあることは、人の健康的な怒りへのこちらの反応を変える、大きな理由になると思います。

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