Saturday, December 29, 2018

エゼキエル 18章

わたしは悪者の死を喜ぶだろうか。
–神である主の御告–
彼がその態度を悔い改めて、
生きることを喜ばないだろうか。
エゼキエル 18:23
16章に出てくる孤児の女の子への主の厳しい訓戒に身が縮む私。
神に拾われ、包まれ、大切にされ、愛された孤児は、育てられた恩を恩とも思わず、勝手の限りを尽くし、神を悲しませます。
それでも、悔い改めの奇跡や希望の一縷に向かって教え諭す主。
主の憐れみ。
人ごとじゃない。
私も、この女の子と同じことをしていることが、きっとある。
絶対にある。
自分で自分の罪さえわからないのが私なのだと思う。
自分の霊に従い、自分の義に従い、それを堕落とも気づかず、綺麗なお洋服を着て、かっこいい車に乗って、青空の下、崖から落ちていく罪人たち。
きっとみんな同じ。
崖に向かうスピードを緩めなくっちゃ。
時々止まって座って目を閉じてお祈りして道を確認しなくちゃ。
あたりまえに見えること、正しいそうに見えることだらけなこの世界だもの。