Sunday, December 2, 2018

イザヤ 40章

ヤコブよ。なぜ言うのか。
イスラエルよ。なぜ言い張るのか。
「私の道は主に隠れ、私の正しい訴えは、
私の神に見過ごされている」と。
あなたは知らないのか。
聞いていないのか。
主は永遠の神、地の果てまで創造された方。
疲れることなく、たゆみことなく、
その英知は測り知れない。
イザヤ 40:27&28
少し前の24節、「彼らが、やっと植えられ、やっと蒔かれ、やっと地に根を張ろうとするとき、主はそれに風を吹きつけ、彼らは枯れる。暴風がそれを、わらのように散らす。」
外は、12月らしい冷たい風の音。
たっぷりと眠りました。
そして、目覚めようとするその瞬間、昨日のみことばを思い出しました。
「あなたは私のすべての罪を、あなたの後ろに投げやられました。新しい朝に感謝します。」
私も、絶えず、日々、「私の正しい訴え」を抱えてあっちこっちにぶつかりながら奮闘する者です。
それが、主に見過ごされていると思ったことはないけれど、「正しさ」を疑わず、頑固に押し通そうとして格闘するという別な意味での罪びとです。
朝、目覚めた時、それを主に示されました。
そして、31節、「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」そう励まされた。
今日から、また、主と共にやり直そう。
自分の正しい訴えという猛烈なパワーでブチ切れたモーセが十戒の石版を叩き壊した後、主が、もう一度書こうと励ました、あの励ましが、私の上にもある気がするから・・・。